なぜ勉強をしなければいけないのか?


 某社の歴史の教科書は、その検定通過や採択に際してしばしばマスコミにも取り上げられ、僕は興味本位でそれをぱらぱらと読んだことがあります。その内容に関してはさておき、ひとつだけ感心した点がありました。それは、目次よりも前に、つまり教科書の一番はじめに、歴史を勉強するとはどういうことかというページが存在することです。僕がお世話になった数多くの教科書には、その教科を勉強する意義や勉強しなければいけない理由が書かれていたという記憶がなかったため、新鮮に感じました。

 なぜ勉強をしなければいけないの? 多くの子どもが一度は疑問に感じることでしょう。しかし、その根源的な疑問にズバっと答えることは大人にだって難しい。あまりにも根源的で、哲学的で、それでいて子どもが理解できるような回答をしなくていけないからです。

 僕は現在、医学生物系の研究者をしていますが、そんな理系の仕事でも、例えば円周角の定理の知識が必要なことはまずありません。円周角の定理を理解していないと仕事にならないような職業に就いている人は、おそらく日本人の一%もいないでしょう。それにもかかわらず、すべての中学生が学習しなければいけないのです。「円周角の定理が必要な職業に就く可能性を失わないために勉強しなさい」、「もしも誰も円周角の定理を習わないなら人類の文化からその定理が失われてしまうから勉強しなさい」で、中学生は納得するか僕はわかりません。

 視点を変えて生物学的な説明を試みると、実は、勉強するのだったら子どもの時がベストなのです。私たちの脳は、生まれてきたときは未発達の状態です。その後の経験を通して神経細胞どうしの結びつきが変化し、脳は発達を遂げます。しかし、神経回路が柔軟に変化しやすい時期は、人生のごく限られた期間だけで、臨界期と呼ばれています。例えば、多くの日本人は英語を習得するのに苦労します。言語を習得するための神経回路の臨界期ではないときに、英語を学習するからです。たとえアメリカに移住したとしても、それが小学校入学以降では、英語を母国語とする人のレベルにはなかなか達しないことが知られています。そして、中学生以降に移住した場合は、大人になってから移住したのと同じです。このように少なくとも言語の習得に関しては、幼少時に臨界期があります。

 言語(話し言葉)の習得だけではなく、漢字や四則演算の習得など、さまざまな学習にも臨界期があって、それらは子どものころに存在すると考えられています。大人になってからはダメだから、子どもは勉強しなくてはいけないのです。

 ただし、例外もあります。極めて高度な数学は、二十歳を超えてからではないと修められないといわれています。それは、四則演算をはじめとする基本からの積み重ねと、複雑な論理を理解するための人生経験が必要なためのようです。

 おそらく高度な数学だけが例外というわけではないでしょう。高校、あるいは大学・大学院を出て就職をすると、これまで勉強したこととは異なることを身につける必要があります。また、未熟な僕は経験がありませんが、管理職に就けばまた新たなことを勉強しなくてはいけないはずです。これらを身につける臨界期は、それぞれの人生の適切な時期に存在するのです。その特定の時期を臨界期として有効にしてくれるのは、それまでの人生における勉強――もちろんこれも人生の適切な時期に行った勉強――です。あぁ、生きていくのは、なんて大変なのでしょう。こんなことは、子どもにはやっぱり説明できません。


福井県立藤島高等学校 PTA通信 第43号(2004)に寄稿